単著が出版されます。

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久しぶりの投稿です。

この度、青弓社より初めての単著が出版されることとなりました。

//////////書誌情報//////////

『歴史修正主義とサブカルチャー   90年代保守言説のメディア文化』
倉橋 耕平(著)
四六判  240ページ 並製
定価 1600円+税
ISBN978-4-7872-3432-2 C0336
奥付の初版発行年月 2018年02月
書店発売予定日 2018年02月28日
登録日 2018年02月03日

 

//////////青弓社による紹介文//////////

「メディアにヘイトスピーチやフェイク・ニュースがあふれ、「右傾化」が懸念される現代日本。「歴史修正主義(歴史否定論)」の言説に対する批判は、なぜそれを支持する人たちに届かないのか。

歴史修正主義を支持する人たちの「知の枠組み」を問うために、歴史を否定する言説の「内容」ではなく、「どこで・どのように語られたのか」という「形式」に着目する。現代の「原画」としての1990年代の保守言説を、アマチュアリズムと参加型文化の視点からあぶり出す。

「論破」の源流にある歴史ディベートと自己啓発書、読者を巻き込んだ保守論壇誌、「慰安婦」問題とマンガ、〈性奴隷〉と朝日新聞社バッシング――コンテンツと消費者の循環によって形成される歴史修正主義の文化と、それを支えるサブカルチャーやメディアの関係に斬り込む社会学の成果。」

////////////////////

 

単著化まで長い時間がかかってしまいましたが、これまでの研究をまとめ、1冊の本として編集したものが本書です。それぞれ違う時期に書いていることもあり、若干読みにくいところがあるかもしれません。

本書は一応学術書の体裁を採っています。ですので、そうした学術書に関心のない方にオススメの読み順は、「はじめに」「おわりに」「1章」「2~5章」の好きなところから、というのが良いのではないかと思います。「序章」は研究背景と研究の枠組みについての話ですので、読み飛ばしていただいても構いません。

細かな補足などはまた後日暇をみつけて更新していこうと思います。

書店やwebストアで見つけたら、手にとってみてください。よろしくお願いします。

男性不妊と男性性

久しぶりに投稿します。

今年の1月に行われたシンポジウム「男性と生殖、セクシュアリティ」@立命館大学朱雀キャンパスの報告原稿を論文として掲載していただきました。

 

「男性不妊と男性性――〈老い〉という視点を読む」

(『インクルーシブ社会研究』16号、立命館大学人間科学研究所、pp101-111)

http://r-cube.ritsumei.ac.jp/bitstream/10367/8100/2/sis_16_kurahashi.pdf

全文ウェブで読むことができますし、PDFファイルをダウンロードすることができます。

 

当日の登壇者は、竹屋一美さん、由井秀樹さん、澁谷知美さん、中村正さん、永田夏来さん(コメンテーター)でした。由井さんの企画だったのですが、非常に面白く、議論も盛り上がりました。

私は、男性学分野がこのテーマに対して10年以上関わっていないことを指摘したうえで、現在「男性不妊」が男性学にとってどのように「主題化」されるのか、ということを考えてみました。そこでは、以前には薄かった「男性身体の医学化」と「老い」が男性性の失墜につながるのではないか、という視点が抽出されます。

 

実際、近年下記のような記事も多いです。

「妊活するなら「年下の夫」か? 年下の夫の妻は「出生率」が3割増という事実」

https://news.nifty.com/article/item/neta/12141-4400/

今後も時間を見つけてこのテーマに取り組んでいこうかなと思います。ちょっと某出版社に相談するための企画書を書こうかと考えています。

興味があったら読んでみてください。

 

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某先生から聞いた英語で授業をやる10のtips

お久しぶりです。秋学期に「ピンチヒッター」で英語で授業をします。英語の授業ではなく、英語を用いて授業をします。お題は、映画を題材にして、社会学概念を英語で説明したり、表現したり、考えたりする授業のようです。

 

ええ、驚くなかれ、履修者、、、、、、現在4名。もう少し増えるかも。。。。

 

 

英語で授業など行ったことがないですし、もちろんネイティヴではないので、どんなことが大事なのか、大学院修士課程時代の同期生で(社会人入試ですが)、留学経験がある英語ペラペラのKeidy先生に電話でtipsを聞いてみました。役立つかもしれないので、メモとしてここに書いておこうと思います。

 

英語で授業をやる時の10個のTips

①初回授業でイニシアチヴを握る。

②英語の授業ではなく、英語でものごとを表現する授業。

③うまく表現することに酔うのではなく、伝えることを優先・重視する。

④複文よりも短文をたくさん使う。

⑤重要な説明事項や、覚えて欲しいような言い回しは、バリエーションを出すよりも、逆に定型句にして慣れたら、その言い回しごと覚えられるようにしゃべる。

⑥ホワイトボード、資料、パワポ、使えるもんはフルで使え!

⑦レポートは授業内で書かせてもOK

⑧時制がわからなくなったり、説明概念が迷走しそうな時は、「何月何日の話」「この概念」とかホワイトボードに書いとけ(そうすりゃ少しの文法間違いも少々回避)!

⑨単語がわからんときは作れ!

⑩「文化」を作れ!

 

なんだか、やれそうな気がするー!

『生存をめぐる規範と秩序』(生存学研究センター報告26)が刊行されました。

デジタルデータでも公開されました!>>LINK

 

藤原信行・中倉智徳編『生存をめぐる規範と秩序』(生存学研究センター報告26)が刊行されました。これが最終号らしく、そこに寄稿できたと思うと感慨深いです。

今回私は、昨夏より取り組んでいた「保守論壇誌」に関わる論考を書きました。「「保守論壇」の変容と読者の教育——90年代出版メディア編成と言論の存在様式の視点から」というのが私の文章です。どういう話かかいつまんで言うと、90-00年の10年間に「論壇」と呼ばれる雑誌で最も書いていた執筆者の一人が大塚英志でした。彼がなかでも特異な執筆者であるのは、「論壇」に対して同時期に他を圧倒するくらい自己言及を行っていることでした。ある意味これは「サブカル評論家」大塚英志という認識が強い一方で、論壇の人大塚英志を読むという感じです。彼は、そこで「論壇」が「サブカル」になっていると喝破するわけです。歴史修正主義とかをバカにしながら。あんなもんサブカルだ、と。そんで、彼が注目するのが『正論』なんです。変な作りになっていると。そこを調べてみると論壇誌では異例の「読者投稿」スペースが全体の10%もある。これは大島信三編集長時代の大きな特徴なわけですわ。そんで、そこで何がなされていたか。まぁ、そいう内容の話を書きました(すいません、細かい議論の流れは直接読んでいただくことにしたいです)。

届き次第いろんな人にお渡しできますので、欲しい方はご一報くださればと思います。身近な人にはお送りしますので!

 

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手作り市民雑誌『PACE』に書評を寄稿しました。

手作り市民雑誌『PACE』の第10号に書評「堀江有里著『レズビアン・アイデンティティーズ』」(pp 65-74、PACE編集委員会)を寄稿しました。

 

カライモブックスで購入できます!>>>LINK

 

『PACE』は、若者の雇用問題と労働運動を研究しておられ、かつ市民運動家でもある橋口昌治さんや、歴史社会学の大野光明さんらが主体となって編集されている雑誌です。

橋口昌治

http://www.arsvi.com/w/hs01.htm

大野光明

http://www.arsvi.com/w/om14.htm

 

今回、私は洛北出版より2015年に出版された堀江有里さんの『レズビアン・アイデンティティーズ』について、書評依頼をいただき、寄稿させていただきました。

http://www.rakuhoku-pub.jp/book/27224.html

主旨は、〈アイデンティティ〉に軸を置く解放運動は、①マイノリティとしてマジョリティの規範の中に「包摂」されることを志向しておらず、②抑圧する社会そのものを問題視し、③レズビアン存在を可視化させ、④「マジョリティによって向けられる〈寛容〉や〈同情〉をも問題化していくこと」こそが関心の中心にあると思うということに着目して記述しました。

たくさんありますので、もらってください。

 

同書の合評会が立命館大学で行われます。私も行きます!みなさんもぜひご参加下さい。

フェミニズム研究会第5回公開研究会 〈抵抗〉を描く――『レズビアン・アイデンティティーズ』合評会

日時:2016年3月24日(木)14:00-17:30
会場:立命館大学衣笠キャンパス創思館403・404
主催:立命館大学生存学研究センター
共催:立命館大学人間科学研究所「インクルーシブ社会に向けた支援の〈学=実〉連環型研究(基礎研究チーム)」
参加:無料・申し込み不要

http://www.ritsumei-arsvi.org/news/read/id/705

 

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朴裕河『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』朝日新聞出版(2014)を読んでみた

面倒なので、このブログではあまり書評的なことはしていないのですが、あまりにも気になる点が多いので、いくらか批判的に指摘。

※ビール飲みながら書いてます。

 

◎だいたいすぎる内容のまとめ
まず、この本で主張されていることは、だいたい以下のような点が確認できる。
①慰安婦のイメージは「性奴隷」「売春婦」のように固定されがちだが、その様態は非常に複雑で多様。
②とりわけ、朝鮮人慰安婦/慰安婦業者は、植民地支配によって日本に協力。
③だから、慰安婦は強姦される敵の女ではなく、擬似日本人であり、同士的存在。
④そして、この慰安婦問題の法的責任の主体は業者(甘言・拘束など、物理的犯罪の責任主体)。道義(道徳?)的責任の主体は国家(構造的犯罪性の責任主体)。
⑤韓国の挺対協が求めているのは日本国家の法的責任と公的賠償。しかし、直接の犯罪は業者にあり、国家の直接的責任を問えない。ゆえに、賠償も難しい。国際法も損害賠償を請求する根拠にはならないし、民放の不法行為では賠償の必要性を言えなければならない(最後の一文はあってるのか?)
⑥また、補償という意味では、韓国の憲法裁判所が出した判決もあげていた日韓協定でも植民地だったがゆえに諸々うまくいっておらず、法的根拠がない。しかも日韓併合自体も合法だった。その意味では、国民基金が行ったことは日韓協定を維持しつつなされた実質的補償ではないか、窮余の策だけど。
⑦でも、支援者たちはこれは「(法的)責任を回避」とか「不徹底」とか「法的責任を回避するために、「道義的立場」が強調されている」と批判されたが、そもそもある「片一方の理想(性奴隷ナラティヴで日本の責任追及を行う立場)」を構成員全体を代表する国家に求めた。でも、政治問題化したものは、ある程度の合意点で解決に向けて動く他ないし、それが限界でもあり、ときに可能性にもなりうる。
⑧現在の慰安婦の公的記憶は〈植民地支配〉の問題が捨象され、普遍的な女性人権問題になっている。そこにいろいろ誤解がある。
⑨それによって、普遍的な〈男性・国家・帝国〉の問題を扱えなくなっている。

そして、第4部よくわかんねぇ(笑)。ここは今後疑問点として考えてみよう。

◎疑問点・つまづいた点
A. 資料/内容イケてんのか!?
挺対協の資料が用いられて、その中にも、また別の著作の中にも様々な慰安婦の語りが取り上げられ、いかに現在の慰安婦のイメージが固定されたものか批判し、状況は多様であったこと、日本への協力者でもあったこと(他侵略国の人よりも上の位置にいたなど)が語られるが、その資料は妥当か。

これについてはすでにネット上に多くの指摘があって、そちらの方が詳しい。
例えば、「性病防止などが慰安所を作った第一の理由に考えられているが、それはむしろ付随的な理由と考えられる」(31)といい、擬似日本人として慰安をさせることだというのだが、さすがに31ページのこの箇所は明らかに単なる読み替えで史料的根拠はない。こういう点が端々にある。せいぜい、そうとも見える、という程度だが、それでこれまでの歴史解釈(強姦・性病防止のために慰安所を作った)が覆せると思えない。あまりに文学。引用のずさんさ(根拠なき「~考えるべきだ」「~はずだ」「違いない」の乱発)などの指摘も納得。
http://readingcw.blogspot.jp/search/label/%E6%9C%B4%E8%A3%95%E6%B2%B3%E3%80%8E%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E3%80%8F

 

B. もしこれが妥当だとすると、、、問題。
同様に、出典と論証が杜撰だと思うのだが、日本兵との恋、いい仲などの話題はすでにたくさん主張されてきた。しかし、それはある種の慰安婦イメージの多様性として「右派」が好んで用いてきたことである。しかし、それに対して別の枠組みで批判がなされたきたわけだから、結局右派の上塗りになっているだけだと思う。

そして、重要なのは、もしそこに生きた人々の多様性だけを主張するなら、奴隷制度でも満足したり、いい恋したりした人はいたし、アウシュビッツの中だって多様性だらけだ。なので、ぶっちゃけ何の主張にもなっていない。

しかし、それでも慰安婦問題においてある特定のイメージを問題視しているなら(実際にしている)、そこには必ずそれを問題視するための規範的なジャッジがあるはずだ(それが多様性を一度脇に置いたとしても、だ)。

だけど、朴裕河はこれに対しては驚くほど意味がわからない。

 

C. なにが「問題」の根拠なのかさっぱりわからん。
既出能川元一さんらのブログでも「著者は前記のように支援運動を批判する一方で、「『慰安』というシステムが、根本的には女性の人権に関わる問題」(201)であるとか、「植民地だったことが、最初から朝鮮人女性が慰安婦の中に多かった理由だったのではない」(137、なお53-54、149も参照)などとも主張している。はたして本書から首尾一貫した日本軍「慰安所」制度についての理解を得ることができるのか疑問である」と指摘されているように、この本はかなり論理の構築に難がある。もちろん史料による論証も含めてであるが。

僕が最初に引っかかったロジックは32ページ(長いので中略を含みます)。

「日本軍は、長期間にわたって兵士たちを「慰安」するという名目で「慰安婦」という存在を発想し、必要とした。(……)他国に軍隊を駐屯させ、長い期間戦争をすることで巨大な需要を作り出したという点で、日本はこの問題に責任がある。(……)不法な募集行為が横行していることを知っていながら、慰安婦募集自体を中止しなかったことが問題だった。(……)慰安婦の供給が追いつかないとわかっていたら、募集自体を中断すべきだっただろう。数百万の軍人のせいよくを満足させられる数の「軍専用慰安婦」を発想したこと自体に、軍の問題はあった。慰安婦問題での日本軍の責任は、強制連行があったか否か以前に、そのような〈黙認〉にある。その意味では、慰安婦問題でもっとも責任が重いのは「軍」以前に、戦争を始めた「国家」である」(32)

意味がわからないわけです。

ポイントは、「責任」です。
「軍専用慰安婦」を発想したこと自体、そして巨大な需要を作り出して、不法な募集行為が横行していることを〈黙認〉したことに責任があり、それは「軍」よりも戦争を始めた「国家」に帰せられる、と。

オッケー。一個一個考えよう。
どんな「責任」かは、本書では「道義的責任」のようだ。つまり道徳的責任moral responsibiltyなんだな。

では、「軍専用慰安婦を発想したこと自体」に国家責任はあるか?
ない。あの子のことめちゃくちゃにしてやるぜー!って俺が妄想すること自体に責任は帰されない。そんな発想はよろしくないって規範的に怒られるだけ。

次行こう。「巨大な需要を作り出し」たことに国家責任はあるか?
ない。需要を作り出すこと自体はそもそも問題ではない。性的なものであるから問題だと考えられる。しかし、現在の性風俗だって巨大需要だ。それを作り出したのが万が一国家だったとして、責任はない(さらには、需要がコントロール可能とは言い切れないし)。となるとこの性に関する需要に国家責任があるとすることができるロジックは何になるのか。書かれてない。

次行こう。「不法な募集行為が横行していることを知っていながら〈黙認〉したこと」に国家責任があるか?
ない。むしろ直接的には軍に責任があるだろう。つまり、飲酒運転禁止の法を作るのは国家だけど、そうした不法行為が横行してても取り締まらず黙認するのは警察の責任だ。国家じゃない。

ともあれ、だ。ともあれ、法的責任が立証しにくいのは俺もなんとなくわかる。しかし、だから道義的責任が生じるとする場合にも、それを規範的にジャッジするものはなんなのか?本書はそれに回答していない。被害があるから責任が生じる。あるいは不正義があるから責任が生じるってのはよく分かる。しかし、そう言わないからわからんのだ。

本書は、それを「被害」や「暴力」という言葉では語らない。そうじゃなくて構造的なものだという。それはこの本では「性的搾取」「家父長制」「植民地支配」なんだと思う。なんだけど、それがわかんない。というのは、「性的搾取」「家父長制」が問題とすれば、それこそなんで慰安婦問題が重要なのかという根底を掘り崩してしまう。性的搾取も家父長制も、今も存在する。さらには、「植民地支配」が問題だというのであれば、やはり他の植民地支配問題のワンノブゼムになり、他の補償・賠償との異同が問題になると思うが、それは無視されていてよく分からない。要するに、シンプルに言えば、朴裕河が「道義的責任」というとき、その背後にどういう「不正義」が想定されているのかわからないということだ。それが上で検討したようなことなら、それは責任として成立していない可能性がある。

 

D. 植民地主義の問題の主張はイケてんの?
そう考えるともっとわかんない。つまり、全体的にカテゴリミステイクをしているように思えちゃう。

「(引用者注:90年代後半以降慰安婦問題をめぐる韓国と北朝鮮の交流が深まったのは、)朝鮮人慰安婦問題が最初は〈植民地支配〉による朝鮮民族問題と認識した必然の結果だった。しかし、その後の運動は、世界との連携の過程で問題を〈普遍的な女性人権問題〉として位置付け、植民地支配問題としての捉え方を強調しないようになっていた」(302)、本来フェミニズムとポスト・コロニアリズムに基づく「国家」批判だったはずの運動を、批判対象を「日本」という固有名に限定したことで、慰安婦問題を〈男性と国家と帝国〉の普遍的な問題として扱うことを不可能にした(275)

彼女は上の引用のようにいうけれども、そもそも普遍的な人権問題のサブカテゴリに女性の人権問題は位置付けられるし、植民地支配問題(男性と国家と帝国の普遍的な問題)もまた普遍的な人権問題のサブカテゴリだ。だから、同じカテゴリ内でどっちが上だ、と言っても根本的な批判になっていないし、後者が重要だというためには、前者のダメさをしっかり批判できていなければならないけど、そういう書き方はしない。それを無視して資本とかの話に行っちゃう。しかも別の箇所では、「『慰安』というシステムが、根本的には女性の人権に関わる問題」(201)とか言ってて齟齬が大きい。

つまり、少なくとも構造的問題に関する道義的責任は追求したいようだが、その道義=道徳を踏みにじったとする規範的な判断が何に支えられているのかわからない。これは普通にロジックとして杜撰でしょ。それを褒めるとか知識不足とか以前に誠実さを欠いている。

ま、あまり付き合うつもりはないけど、5月の書評会までもうちょっとチェックします。

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生存学研究センター報告書に寄稿しました。

立命館大学の『生存学研究センター報告書』の第21号に寄稿しました。

 

倉橋耕平「<性奴隷>は新聞報道にどのように登場したか——1991-92年の国内紙・英字紙を中心に」

 

編者の大谷さん、村上さん、本当にありがとうございました。

私は慰安婦問題において、<性奴隷>という言葉が報道上でどのように作られたのかを書きました。その過程で保守言説を資料を元にして批判してますわ!そのうちPDFでも読めるようになると思います!

本報告書自体は夏に合宿に参加させていただいた規範×秩序研究会の成果となっております。私は慰安婦問題において、<性奴隷>という言葉が報道上でどのように作られたのかを書きました。その過程で保守言説を資料を元にして批判してますわ!そのうちPDFでも読めるようになると思います!

http://www.ritsumei-arsvi.org/

2014.6.25更新

Webで読めるようになっています!!!是非チェックを!!!

http://www.arsvi.com/2010/1403kk.htm 

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共編著『ジェンダーとセクシュアリティ』(昭和堂)発売

大越愛子さんとの共編著書『ジェンダーとセクシュアリティ』(昭和堂)が発売になりました。昨年末より書店に並んでいます。現在では、ネット書店にも在庫が確認出来ます。以下、昭和堂の著作紹介ページより、お好みのネットブックストアに飛ぶことが出来るようになっております。

http://www.showado-kyoto.jp/book/b146098.html

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大越先生が近畿大学文芸学部を退職された記念に、以前より読書会を行っていたメンバーを中心的な執筆陣として約1年間かけて制作されました。いちおう、テキストとしても使用出来るように作られています。とはいえ、独立した書き方もされていますので、コラムも含めて縦横無尽な読み方をしてくださいませ。ちなみに、12/31に『朝日新聞』の朝刊1面でも広告が打たれました!あははー!嬉しいです!さらには、東京の大手書店からはすでに追加注文が入っています。お早めに。

そして、非常に目を引く表紙なわけですが、これにも記念著書ならではの理由があります。この絵、大越さんの姪が書いたものを表紙用にデザインして用いたものです。さらにいえば、今回の本の編集者も実は大越さんの姪(表紙絵を書いた人の姉)。昭和堂という非常に硬い出版社(すいません)から考えると非常にポップな表紙で、本の中のタイトルが書いてある紙(開いて1ページ目)も薄いピンクのキラキラ光っている紙が使われていて、非常に奇麗な作りにしてくれています。これは私が結構口酸っぱく「大越本は過去にダサいデザインばっっっかりだったので、キレイに仕上げてほしいです」とリクエストしたものでしたし、大越さんもこれを手に取る若い人たちが使うのに良いデザインのものという方向性でした。以上、表紙デザイン秘話。

私も次年度の授業で使う予定です。みなさん、何卒よろしくお願いします。

 

目次

第Ⅰ部 個人的なことは政治的である
第1章 個人的体験を政治化する(大越愛子)
第2章 男性性への疑問(倉橋耕平)
第3章 化粧という些細で重要な問題――〈私〉という経験を通じて(玉置育子)

第Ⅱ部 制度を揺るがす知的冒険
第4章 〈慰安婦〉と〈性奴隷〉をめぐるジャーナリズム史(倉橋耕平)
第5章 フェミニズムと宗教――性規範と文化の連関の中で(堀江有里)
第6章 「子どもを産む」とはいかなることか――自然から自由へ(大越愛子)
第7章 リベラリズムとフェミニズム(堀田義太郎)

コラム① 日本軍「慰安婦」の記憶を記憶する(井桁 碧)
コラム② 女子大学生の就活って――ガラスの壁がある?(宮崎啓子)
コラム③ バイセクシュアル再考(秦 功)
コラム④ 晩婚化現象の日中比較から見えるもの(穆旭明)
コラム⑤ ジェンダーを超える遊戯――宝塚歌劇とは何か(大越アイコ)
コラム⑥ 「フクシマ後」を生きる女性たち(本田雅和)
コラム⑦ ゲイ・ニューハーフをさまよう私(鹿野由行)
コラム⑧ 性・からだ・お産の現場から(原ゆかり)
コラム⑨ 生命倫理学とフェミニズム(白水士郎)

 

 

前期の反省と感想①授業運営と試験。

前期の仕事をすべて終えました。
前期の仕事については、上記の「2013年度の授業」を参照してください。
http://kohei.lapture.net/?page_id=51

さて、今期は講義、基礎演習、講読という3種類の授業を持ったわけです。1つずつ反省を。

①基礎演習
今年は、クラスで差が大きかった。僕は知らないうちに悪い点をつけるタイプの教員だと思うから、生活態度にはあまり口にしない。ま、これは前任者の授業への意識の植え付け方でしょ。俺が変えれるもんじゃありません。

ともあれ、結構意欲的にやってくれたと思っているし、そこそこ成果も出てると思ってた。特に、今年は自分の受け持ちの授業スケジュールから火曜の午後が空くことになり、個人研究発表の相談をする時間が増えたこと=残業が増えたことはよかった。結果のいかんに関わらず、そこでとれたコミュニケーションが重要で、「いっしょに考える」そのために教員が要るんやと思うのね。勉強も、研究も絶対に一人では出来ません。誰かとの議論がたくさんあるし、それが能力を得るために最も重要な要素になります。

②講読
初めて担当したスタイルの授業でした。正直、反省満載ですが、20人という人数と参加する学生のキャラに助けられました。本当に「自由に」やりたかった授業だったので、そこがよかったです。しかし、大失敗!!!!(あ、受講者はほんとにかつて一番なくらいみんな気のいいやつで、やりやすかったー)

ですが、授業運営としては反省だらけです。読んだものにたいして議論をしよう、という方針は良かったのですが、受動的にさせすぎました。もっと受動的な文献を読む作業(与えられた文献)から能動的な文献を読む作業(自分たちで読みたい文献を探す)にうまく移行すべきでした。初年度で、受講者数、読みの精度などわからないことだらけで、少し思い切ったことが出来なかった、という反省が非常に大きくあります。なので、もし同じ程度の人数であれば、(来年度チャンスがあれば)よりゼミっぽいものにしたいです。つまり、勉強から研究へと「読み」を変化させる過程を体験させたいです!!!

③講義
こいつが、難題だ。なるべく毎年少しずつ変えながら話をしているが、ジャーナリズムの話は、今年は人数が減ったこともあり、授業中に学生に意見や授業内容の確認を聞いていったのだが、ちょとポカーンやった。それは残念だが、なんか考えてくれ!!!

それと大教室の講義は、試験を変えた。それまでの「持ち込み有り」を「持ち込み無し」の試験にしてみた。少し試してみたくなったのと、例年通り試験をやると、すぐに対策を立てられてしまうからね。

しかし、採点結果は結構ショックだった。つまり、「持ち込み無し」にすると採点の結果があからさまに悪いわけだ。授業内容は去年と大きく変えた所はないのに。つまり、結局みんな勉強なんかしていないわけです。というか、ちゃんと点数が取れるやつはよく話を聞いてるわけですわ。となると、持ち込み有りの時なんてほとんど誰も勉強してなければ、授業で話したことなんてどうでもよかったんだな、と。となると、当然のことながら何が起こるかというと、中間課題を出していても単位を落とす履修者が続出したわけです。とても残念です。

(私も含めて)ちょと考えるべきなんですが、大学の試験って、いきなり受験とは違うものになる。それをちゃんと教える授業も必要かもしれません。いくつか文系の学部で点数をとるためにはコツが有ります。

A.単語の虫食い問題=気合いで覚えろ!
B.概念&キーワード解説=5W1Hを意識して充実した記述を書け!
C.論述=リソースを上手く使え!

かなぁ。もちろん教員によって採点基準は違うし、みんなが同じ考えではありませんし、採点の配点によっても出来不出来の印象は変わってきます。とはいえ、この3点は絶対じゃないっすか?(諸先輩方、ご意見願います)

とりわけ、教員のさじ加減が大きく左右しそうなのは「C」です。さて、そこでどういう風に考えるべきか。難しいのですが、回答を読んでいて思うことは、

1.「なんでこんなに俺が授業で教えていたことは無視されて、お前の意見だけ書いてあるんだ? 俺はそんな(しょうもないこと)教えてないぞ!」
2.「なんで他のやつとリソースが被りすぎだぞ? digりが甘すぎる=適当だろ!」
3.「なんで問題の質問と答えがまったく対応せえへんねん!」

です。これって、もしかすると、大学云々のレベルで問題な話じゃないんじゃね???

【現代文化講読ⅡA】次回(6/26)までの課題。

近大「現代文化講読ⅡA」次回(6/26)までの課題は、以下の図書の所定の箇所を読んでくるように。
新編 日本のフェミニズム第1巻『リブとフェミニズム』 (2009年、岩波書店)
ぐるーぷ・闘うおんな(田中美津)「便所からの解放」(1970)です。
議論を中心にしましょう。
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